月下の孤獣 5
      



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自分たちへの宣戦布告のようなふざけた車内アナウンスを受けて、
それは勇ましい足取りにて 先頭車両へと向かった与謝野女医もまた、
数分と掛からず終着地点である車両に辿り着いており。
車両と車両を区切るように閉ざされていた引き戸扉のレバーに手を掛けると
何の躊躇もなく力任せに重いそれを押し開けている。
意識はすっかりと戦闘態勢、
何時でも何でもどっからでも掛かって来いと意気盛んではあったれど、
乗客たちはとうに逃げたか無人の車内だったが、奥向きからコロコロと転がって来た何かがあって。
いかにもなハンドグリネイド、ハンマー型や球体、パイナップル型の手榴弾ではなかったせいか、
はい?とほんの一瞬、頭が真っ白になりかかる。
それを狙った形状だったか、はち切れそうなビタミンカラーの“それ”は、
女史の足元を目がけて転がってきた凶悪さだったが、
かかッと目映い閃光を発した丁度その間合いに、ああこれってとやっと危機感知の反射が働いた辺り、
女史もまた知らぬうちに、戦場での反射というもの、多少は鈍っていたのかも知れぬ。
だが、爆発物に特有の、
周囲の空気をその身へ吸い込むように圧縮し、
逃げる間もなく そのまま反転させて勢いよく膨らませるあの容赦のない嫌な感覚が、
出番間違えましたァと自主的に引っ込んだかのように ふしゅうと萎んでしまって。
文字通り 誰かの手のひらで握りつぶされる、それは貴重な瞬間を目撃したものの、

 「大丈夫でしたか? 破片とか飛んでませんか?」

そんな奇跡の魔法をやってのけた存在が、
ぐぐうっと何かを握りしめた手のひらを開きつつ、自身の肩越しに女史へと訊いて来る。
前方へ伸ばされていたのが
料理をするときに使うミトン型の鍋掴み級という手だったのへついつい見とれ、
そのまま、安否を聞いてきた人の貌へと視線を移せば、

 “おや、かわいい。”

白銀の髪に黒い外套。この暑いのにと思ったものの、今いる場所がある意味で修羅場なのを思い出し、
その彼が前へと向き直ったのをキリに自分もそちらへ視線を向ければ、

 「おや。
  研究に没頭すると下ばきを履き替えるのも忘れてしまう梶井さんじゃあないですか。」
 「相変わらずに毒舌な子だねぇ。」

ずんずんと進軍していた自分の先に誰か居たようでもなかったが、
どこから飛び込んだ伏兵か、いやにさくさくという物言いをしている誰かくん。
それへ応じたのは、声から察するに 先ほど不謹慎で物騒なアナウンスをした男であるようで。
言いようからしてお互いに顔見知り同士なようだが、それにしては厭味の応酬という気配が拭えない。

 “梶井?”

恐らくは名前なのだろうそれと、
爆破というテロ行為と結びつけるインデックスには与謝野にも心当たりがある。
過激派の活動として様々な企業ビルに爆薬を仕掛け、世間を騒がせた狂化学者。
本当に何かしらの政治的な思想あってのことかどうかも怪しく、
実名そのまま指名手配されてもいる、とんでもない存在だ。
噂ではポートマフィアの人間だそうで、隠密主義のマフィアの中にあって珍しく顔の知れた爆弾魔。
成程、となると手ごわい爆破狂が相手のようだねと、
自分の中でいろいろと得心がいった与謝野があらためて腹を据えておれば、
直接の会話を交わしているところの、自分の眼前に立っている側の青年曰く、

 「しょむない実験で
  構成員のお子様方へ得体の知れない飴や何や振る舞ったのは誰ですか。」

言葉遣いが丁寧な此方の少年。
梶井とやらとは顔見知りのようなのに
味方にしては爆弾を握りつぶすという妨害行為をやらかしたうえ、
何だか喧嘩腰の口利きをしているようなと思っていたらば、
とんでもないお話がちらりと零れ。
ははぁ、それで反目してるみたいだねぇと、
さすがに女史でなくとも察しが付くよな、困った相性同士の間柄であるらしいことが判明。
一方、人の良さそうな真っ直ぐ少年につけつけと抗議されても一向に悪びれぬ、
いかにもマッドサイエンティスト風の マッシュルームカットの長身下駄男をチロリンと見やっておれば、

「キミはどれほどその身を損傷しようと再生できる身体なのだし、
 他所の子らが何をされてようと実害も受けないのだから放っておけばいいだろう。」

やれやれと肩をすくめ、なんて愚かなとでも言いたそうな語調でそんな言いようを紡いだものだから、

 「あああぁん?」×2

これへは与謝野も黙っていられず、
奇しくも白髪の少年と同じ間合いで
“もう一遍言ってみな (どうなっても構わないならな)”という意を込めた唸り声を発しており。
そうですね、お餅つきコント芸人のクールポコさんの“なぁ〜にぃ〜?”の抑揚が一番近いかも。
そんな不穏な唸り声がハモったことで現状を思い出しでもしたものか、

 「え? おやおやそうだった、探偵社の人がお越しのようだったねぇ。
  中島くん、内輪もめはちょっとばかり休止と行こうじゃないか。」

これは首領から通達のあった重要な任務なのだよ? キミだとて邪魔は出来ない、判るよね。
そうと続いた言いようへ、

 “おや、じゃあこの子はやっぱりポートマフィアの、”

単なる助っ人とか今だけの情報担当とかじゃあなさそうだとの認識も新たにしつつ、
そういえばと社内で回覧されていた写真を与謝野も思い出す。
芥川を掻っ攫おうとの企ての折、
依頼人に扮していた女性の上司として後から現れた異能者だったと
芥川や谷崎が証言していたが、

 「そちらこそ寝言は寝て言うもんですよ。インテリにしてはそんな基本もご存知ないのですか?
  親方はとうに鏡花ちゃんには帰って良しと言ったそうです。
  なのに 何でまたこんな物騒な事案に連れ回しているんですか。」

 「な…っ。」

さてここで問題です。この詰問の何処で、梶井氏はムカッとしたのでしょうか。

 1, 寝言は寝て言え
 2, インテリなのに…ねぇえ?
 3, 親方の指示を守ってないのはどっちでしょうか?

ムカッとしつつも鼻で笑って取り合わないのではなくぐぬぬと歯ぎしりもので言い淀んだ辺り、
この若いの、単なる若手新米の構成員ではないらしい。
発言権があるというか、首領の指示という言いようをして大人を黙らせるような、
そうと言って通るような特別な地位にあるらしいことが偲ばれる。
とはいえ、

 「キミには一度、しっかと上下関係というものを説いておく必要があるみたいだねぇ。
  ウチは実力主義だから、経年齢とか出自はあまり重要視されないが、
  だからこそ、例えば荒事の折に使う武器装備など、
  はたまた特殊な薬剤投与への対処などなどでは、
  私の助けだっているだろうに、そんな口を利いてていいのかなぁ?」

 「武器はそもそも使いません。
  抱えてっても荷物になるだけですし、この爪で大概のものなら切って捨ててます。
  目も鼻も利くし耳も良いので盗聴や識別機器にも世話になっていませんし、
  そういった探知系に取っ捕まる前に侵入も可能ですので対センサー用の迷彩系のあれこれも不要です。」

厄介な薬品を浴びたならならで親方が対処してくださるのでお任せすればいいだけのことですしと、
それは理路整然、青年がさらさらと言ってのけたのは正論で、
ただ、正義は強いが問題なのは武器にしかならぬということ。
それで説得や懐柔をするのは相手によってはなかなかに難しく、
ウチの教師眼鏡もそういうところが長所であり短所だと常々案じてたそのまんま、
目の前でも悪い方への展開が実地進行中。
頭の回転がいい相手だからこそ、隙のない論破を受けてぐぬぬぬぬと言葉に詰まった。
ただし、実行力も備えている手合いだったため、その挙句、その身の方がものを言ったようで、

 「…っ!」

上背があったついでに腕も長かったその先に、鋭いメスを構えており、
勢いよく薙ぎ払ったその軌跡から、
後背へ庇う格好になっていた与謝野を押しのけつつ共に避けた青年だったが、
それとは別の仕掛けも背負っていたものか、
ごろごろと白衣の裾から転がり出たレモンの群れに寄って来られ、
しかも刹那ほども間を置かずに炸裂したからたまらない。

 「わっっ!」
 「きゃっっ!」

至近すぎて避けようがなかったのと、此処まで近場で起爆させようとは思わなかった油断もあった。

  だって自分も巻き添えになろうゼロ距離なのに?

そうという大きな疑問を抱えたまま、すさまじい熱風や破砕物に襲い掛かられ、
一瞬 意識が飛びかかる与謝野であり。

 “…そうか、こいつの異能は。”

若しかしなくとも自作の爆弾によるダメージは受けないとかいうものに違いなく、
それで、いかにも頭でっかちな野郎なのに、怖気もしないでこんなバカげた策を繰り出せるのかと納得してしまう。
対人爆弾は爆薬とそれから、より殺傷力を上げるため釘や細かい金属片を同包してある例が少なくはなく。
この忌まわしいレモンにはそこまでの厭らしさは処されてなかったようだが、それでも結構な衝撃を浴び、
身体のあちこちが声帯を持っていたら我も我もと騒いだだろう ただならぬ痛みに
萎えかけていた意識が叩き起こされているほどで。

「そういや思い出した。武装探偵社には治癒系の異能を駆使する医者がいるとか。
 それがキミかね、与謝野晶子。」

医者が科学者とは言えないねぇ、少なくとも情で動くような部分があるのは笑止千万、
手を尽くしたら後は患者の粘りと気力、つまりは神頼みとなるのだろう?

 「君たち宗教者は信じるのが仕事だろうが、科学の根源は何時(いつ)だって疑うことでね。」

例えば、死って何だと思うね。
生体反応の停止かい? だが、脳が機能を止めても死と同義という解釈もされつつあるよね。
心臓が止まっても何十分、どうかすると数時間ほど意識はある場合も報告されているそうだしね。

「そのような“報告”も重要だとは思わないか?
 手を尽くすってどこまでなのかなという想定を為すときにだよ。」

床に伏せている二人の敵対者へ、わざわざ熱弁する厭味な男であり、
下駄の先で少し離れたところに伏す銀髪の青年の肩口をつつくと、

 「敦くん、キミもね、もうちょっと目上には従順にあらねばいかんよ。
  自慢の再生能力だって、未知数なところが多すぎる。現に今、発揮されてないようじゃないか。
  意識が飛ぶとダメなのかなぁ。
  本格的に使い物にならなくなったら実験体にしていいかと首領に聞いておくよ。」

そうと言い置きつつ うくくくと笑い、がんッとその肩を踏みつければ、
それがある種のスイッチだったか、あちこちから車両中に黄色い物体が溢れ出す。

 「では、さらばだ お二人さん。」

下駄をがらごろ鳴らしつつの大股で扉へ向かいつつ、
そんな憎たらしい捨て台詞を投げかけ、白衣の大男が得て行ったのと擦れ違うように。
先頭車両はすさまじい閃光に包まれ、僅かな隙間から外へまでそれが漏れ出したほど。
地下鉄はいつの間にやら高架上の線路へよじ登っての走行と変わっており、
車内を塗りつぶした凶悪な閃光と爆風が天井の照明もことごとく壊していたものの、
窓から差し入る陽光の明るさに照らし出され、その惨状が何とも痛々しいばかり。

「おやまあ、口ほどにもなかったようだねぇ。」

重さのある扉が再びがたがらと開き、
何が楽しいものか随分と弾んだ声でそんな感慨を口にしつつ再入来してきた下駄の化学者殿だったれど。
顔を仰のけにして座席に力なくもたれかかり、いかにも息絶えておりますという態に見えた女史の方へと
いそいそと足を運んだところ…容赦のない拳が飛んで行って頬をぶち抜いている。
ぐえ・げぼがほ…っと、ちょっと描写に当てる字を思いつかないほどの奇声を上げつつ、
さすがはヨコハマ市営地下鉄さん、煤けてはいるが基礎構造は何とか無事だったらしいた床を目がけ、
一瞬その身が宙に浮いたほどもの勢いで ずでんどうと吹き飛ばされており。

 「な、なんだ、なんでだっ!」

それほどの馬力が健在ですという事実現状はさすがに理解したようだが、
ああまでの爆破の只中にあってなんでだと、そこがつながらなかったようです、狂化学者さま。
肘まである黒い手套に包まれた拳をお顔の傍まで掲げ、ふんと力んだ麗しき女戦士兼 医師殿は、

「妾 (アタシ)の異能、君死給勿 はね、どんな惨状にあろうと元通りに治せる治癒の力なのさ。」

ちょいとはしたなかったがロングスカートをちょろりと持ち上げれば、
ストッキングこそズタズタだったがその下の素肌には一点の曇りもない。

「ただし、瀕死の重傷じゃあない限り使えないのが難点だがねぇ。」

ほんっとに残念でしょうがないが、今の今はそうだってことが嬉しい限りさと、
それはそれは凶悪そうに口許引き上げて嘲笑い、
さっき殴ったのは はてどっちの頬だったかねぇと梶井へ訊いてみたりする。
馬鹿正直に左だったかねぇと応じたところ、右の頬へと思い切りの拳を繰り出され、
その身が再び宙を舞っていたりする。

 「命を大事にしない奴はぶッ殺してやる」

振るった拳を雄々しく握り込んでの そんな頼もしい雄たけびを聞きつつ、
やや離れたところの座席の傍らから立ち上がった人影があり、

「ったく、飴の件では親方からもきつい叱責食らったのを忘れたんだろか。」

呆れたような口調で言うのへ、だが与謝野せんせえも特に警戒はせず、
むしろふふんと笑っていかにも“同志”という顔を振り向ける。

 「さっきから気になってたけど、あんた、自分とこのアタマを“親方”って呼んでるんだね。」

こちらさんもまた、先程の大量レモン爆弾の只中に居たはずなのに、
丈夫そうな生地や仕立てはそのためか、
焦げてこそいたがさほど裂けたりはしていないままのいでたちで、
女史せんせえの傍らまでやってくる、白髪の青年であり。
彼女の言いようへ、てへへと照れ臭そうに笑ったところを見ると、
実はちょっぴり不敬かもしれないのは承知の上でなことらしく。

 「此処だけの話ってことにしてもらえませんか?」

配下からそんな呼ばれようをしているなんて、マフィアの首領という格付けにはあんまりいい余波を齎さぬ。
そういう理屈も判っている辺り、単なるのほほん少年ではないらしいと、
敵方の存在ながらも悪印象は持てないままな与謝野さんだったらしく。

 「…ところでマフィアの坊や、再生できるって本当かい?
  だったら腕や足を落とされても堪えないのかい?」

きらりんと目許が光った女医せんせえへ、

 「いやいや、痛さは常人と同じなので、試しになんて話には乗りませんからね。」

こちらもある程度の情報はあったものか、
そのまま話に乗ったら何をされるのかが判っているような言い方をし、

  大体その話って誰から聞いたんですよ。結構レアな極秘情報ですよ?
  ウチのルーキーの前で虎になったの忘れたかい? 足も吹っ飛ばされたのが元通りだったって話だし。
  あ…。

暢気といやあ暢気な会話になってた二人だったのも、
実行犯を伸した直後だったからなのかもしれぬ。人事不省状態のすんでだったのっぽの科学者さんへ、

 「じゃあこっちのお兄さんの治療でもしてやろうかねぇ。あんた怪我しているみたいだしィ。」

ふふんと笑って、とりあえずは瀕死になってもらわにゃあと、
大きな革製のバッグから鉈を取り出した辺り以降は
原作様に準ずるとして。(おいおい)

 「…後部車両の爆弾というのは鏡花ちゃんに着せた爆薬だってっ!?」
 「という段取りになってたが。」

断末魔の声を上げる合間合間にこっちの要りような情報を絞り出させたところ、
彼曰くの“首領”からの指示に従ったまでのことで、
探偵社の正義漢どもならきっと幼い少女の身を盾にすれば言いなりだろうからと、
そんなとんでもない仕立てにしたらしかったが、

 「私だとてそこまで無能じゃあないさ。
  首領の指示ですとインカムや通信関係の機器を持ってきやった構成員が見覚えのなかったクチだったんで、
  レモン爆弾以外に才を振りまく必要もなかろと、
  使い捨てカイロ用の不織布に活性炭を詰めたシートで簡易の胴衣を作ってまとわせといた。」

 「……何だそれ。」

私だとてこの組織で結構長年働いているのだよ。
首領の采配で 幼女への仕打ちが手酷いものだってのはどうにも胡散臭い。
銀の宣託でも持ってりゃともかく、口先だけで首領がどうのという奴は信用できないからねぇ、と。
そんな言いようを付け足したものだから、

 「それって…。」
 「四の五の言ってないで向かってみようや。」

与謝野が芥川へと通話を掛けてみたらしいが、携帯への応じもないらしい。
ともかく後部車両に行ってみようと急いだ二人が、
何がどうしたのか判らぬままの乗客らを掻き分け掻き分け、先頭から向かった最後尾。
重々しい扉をがらりと開ければ、

 「え?」
 「何で…。」

辿り着いたところには あるべきものがなかった。
車掌が乗っているだろう運転席の付いた端車両はなく、
警戒なく踏み出していたらば そのまま線路へ落ちていただろう、いきなり外部の風景が開けており。

 「車両ごと持ち去った?」

恐らく他の乗客は逃げていて居なかったものと思われるが、
それを幸いとし、どこかで連結を外して車両ごとの拉致と運んだらしい。
自分たちもなかなかに忙しかったので気付かなかったのではあったが、
それにしたって大胆にもほどがある所業であり。
海浜地区を背景に線路がどんどんと遠くへ吸い込まれてゆく、なかなかシュールな光景を前に、
呆然としていたか声もなかった青年だったが、
不意にその意識がぐんぐんと怒気を孕んで膨らむと、 

 「あんのロリコン、許さんっa.gif

一喝と共に放たれた あまりのお怒りの波動の強さに、
あの与謝野さんでさえ“おおう”とちょっと怯んだそうだった。






to be continued.(20.07.28.〜)


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 *文豪の梶井基次郎さんも結構な無頼だったようで、屋台をひっくり返したり大暴れもしたらしい。
  それはともかく。
  VS 梶井さんのシーン、長々と綴った割に随分と端折っててすいません。
  科学に関する口上とかもあったはずですが、そういった台詞を覚えてなくって往生しました。
  もっと軽快なやり取りだったはずですけど…。
  マフィアの敦くん、そうそう誰へでも折り目正しい良い子ってわけでもなさそうです。フフフ…。